「黒い雨」被爆者の認定を阻む「科学的・合理的な根拠」

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日本平和学会2019年度春季研究大会

 

部会1(3・11プロジェクト委員会企画)核被害認定をめぐる歴史的・政治的背景

「黒い雨」被爆者の認定を阻む「科学的・合理的な根拠」

 

広島市立大学 国際学部

湯浅正恵

キーワード:「黒い雨」、核被害、被爆者認定、「低線量」被曝、内部被曝、基本懇、放射性降下物、残留放射線

  

 被爆から70年経過した2015年11月、広島原爆「黒い雨」集団訴訟が始まった。64名の原告は「黒い雨」という放射性降下物による内部被曝を主張し、被爆者健康手帳と第1種健康診断受信者証の交付を求め、広島地方裁判所に提訴した。裁判は既に3年を越え、数人の原告は判決を聞くことなく他界し、残された多くの原告にとっても体力の限界が近づいている。この原告らに対して、被告は次のように主張する。

 被爆者援護法の前身である原爆医療法は「特別な犠牲」を被った被爆者が、適切な健康診断及び治療を受けることができるようにするために制定され、被爆者援護法もその趣旨を受け継いだものである。援護措置が税で行われ、また当時の全ての国民がなんらかの戦争の犠牲となっている以上、援護法の対象となるには「国民的合意が得ることが可能な程度の科学的・合理的根拠」に基づき「特別な犠牲」であったと言えることが必要である(被告第2準備書面 2016:8)。しかしながら、

 現在の科学的知見においては、100ミリシーベルトを超える放射線に被曝することで、がんを発症することがあることについて、科学者の間でコンセンサスが得られている。… 他方で、現在の科学的知見においては100ミリシーベルトを下回るような放射線に被曝した場合については、それによって健康被害が発症し得るか否かも定かでなく、そもそも人体になんら健康影響を与えない可能性も十分にありえると考えられている。… 上記の100ミリシーベルトを下回るような線量の放射線被曝の場合にまで、被爆者援護法の定める手厚い援護措置を適用することは、およそ公正妥当な範囲にとどまるものとは言いがたく、国民的合意を得ることは困難である。医学的ないし科学的根拠を離れたたんなる主観的な危惧感のみ「特別の犠牲」とはいうことができず、同法の保護に値しないというべきである。(被告第2準備書面 2016:63−4)

 

 この被告の主張は、74年前の原爆投下と8年前の原発事故が直接結びついていることを私たちに思い知らせる。これまでも原爆症認定集団訴訟の判決において、繰り返しその合理性が否定されたはずの100mSv言説が、なにごともなかったかのように原爆被爆者と原発事故被爆者を今また追い詰めている。

 本報告では、現在進行中の「黒い雨」裁判の議論を追いながら、その行政側の主張の根幹にある「特別の犠牲」の「科学的・合理的根拠」について、政府がその被爆者援護政策の拠り所としている1980年の原爆被爆者対策基本問題懇談会(以下、基本懇)まで遡り論じていく。裁判のために開示されたその12回の会合の速記録には、100mSv言説とは異なる「科学的・合理的根拠」が論じられていたことを指摘し、さらに、なぜそのような基本懇の議論が、非科学的で不合理な100mSv言説を呼び込み、現行制度を正当化するものとして利用されているのかも論じてみたい。

 「黒い雨」裁判を傍聴している福島から避難してきた女性が「この黒い雨の被爆者の方々の姿は、自分たちの70年後の姿かもしれない」と語った。この彼女の言葉を実現させないためにも、被曝を否定されてきた世界中の核被害者のためにも、また未来の核被害者をひとりでも減らすためにも、この被爆地広島での「黒い雨」裁判は重要な役割を担っているように思える。