第4回日本平和学会平和賞・平和研究奨励賞受賞者

1 平和賞受賞者 

(1) 安斎育郎(立命館大学名誉教授)

(2) アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」


1-1 平和賞選考理由

(1)安斎育郎立命館大学名誉教授

 安斎氏は放射線防護学の専門家として1960年代から原子力発電の危険性を説く講演活動を行なうなどしたため、さまざまなアカデミックハラスメントを被りながらも、真摯な研究姿勢を貫き、平和研究、平和運動および平和教育の分野で顕著な貢献を果たしてきた。

 安斎氏は、立命館大学国際平和ミュージアムの第2代館長および名誉館長として数多くの先駆的な試みを手掛けるとともに、同ミュージアム、沖縄平和祈念資料館、長崎原爆資料館、広島平和記念資料館、川崎市平和館などから成る日本平和博物館会議に1994年以来欠かさず参画し、平和博物館の連携強化に重要な役割を担ってきた。また、長崎原爆資料館開設時の監修作業や広島平和記念資料館の改修計画への協力など日本国内の平和博物館の運営に積極的に関わり、さらに、平和のための国際博物館ネットワーク(International Network of Museums for Peace)諮問理事および南京国際平和研究所・名誉所長を務めるなど、国境を越えて平和のための活動を牽引してきた。

 平和を推進する安斎氏の活動の幅員は広く、学術的貢献はもとより、原水爆禁止世界大会議長、憲法9条・メッセージ・プロジェクト代表、原爆忌全国俳句大会実行委員長など多岐にわたり、さらに、フィールドワークや講演をはじめとする市民向けの活動を精力的かつ持続的に行ってきている点も特記される。平和ならざる事実を知り、その原因を知り、その克服の道を学ぶこと以上に、「状況に働きかけてそれを変革する主体を育む」ことの重要性を説く安斎氏の信念が、そこに鮮明に反映されている。

 近年にあって特筆されるのは、2011年3月11日に勃発し、いまだ収束を見ない福島原発事故後の活動である。安斎氏は、放射線防護学者として、政府関係の活動に従事する以上に、福島市での除染や食料汚染検査、外部被曝測定、相談活動など被災者に寄り添うことに心を砕き、避難所での講演や放射線被曝・がれき処理などに関する市民からの問い合わせにも積極的に応じてきた。暴力なき世界を構想する平和学にとって、原発は喫緊の重大な課題にほかならず、安斎氏の揺るぎなき精神に裏打ちされた活動は、平和学の最も先端的な実践というべきものである。

 高度の専門的知見を、暴力なき世界の実現に振り向ける安斎氏の長年にわたる活動が平和運動および平和研究に果たした貢献は顕著であり、日本平和学会は、その活動を称え、同氏に第4回平和賞を授与する。


(2)アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」

 2005年に開設されたアクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」は、戦時性暴力に焦点を当てた記録・展示・情報発信・研究活動の拠点として、とりわけ日本軍「慰安婦」問題に関する理論、運動および社会認識の深まりに特筆すべき貢献を果たしてきた。

 開設年に開催された第1回特別展「女性国際戦犯法廷のすべて」と第2回特別展「松井やより 全仕事」は、本資料館が依拠するジェンダー正義および民衆性の理念を集約的に体現し、その後も、常設展示、特別展示、国際シンポジウムなどを通して、本資料館は性暴力なき未来を志向する多くの人々に勇気を与え、その知的・実践的な拠り所となってきた。本資料館は、民衆の視点に立った「慰安婦」関係資料の持続的収集と社会への働きかけにおいて他の追随を許さず、東チモールにおける戦時性暴力や米軍駐留下の性暴力の問題などへの取り組みも併せ、その活動は、ジェンダーの視座と、人種主義・植民地主義の克服が平和の実現に不可欠であることを内外に広く知らしめるものとなっている。

 戦時性暴力の被害者の正義が実現され、戦争や女性への暴力のない社会を希求する本資料館の活動は、人種主義が台頭し、東アジアの国家間関係が緊張する現下の困難な時代状況にあって、ますます重要性を帯びている。「慰安婦」問題の解決は、被害者の尊厳の回復を促し、また、性暴力の温床となる社会構造の変革と東アジアにおける平和の達成に本質的な次元で寄与するものにほかならない。明確なコミットメントをもって、ひるむことなく所期の目的を追求する本資料館の誠実な活動が平和運動および平和研究に果たした貢献は顕著であり、日本平和学会は、その活動を称え、同資料館に第4回平和賞を授与する。



2 平和研究奨励賞受賞者

(1) 勅使川原香世子『地域医療アクセスとグローバリゼーション:フィリピンの農村地域を事例として』明石書店 2013年

(2) 林公則『軍事環境問題の政治経済学』日本経済評論社 2011年


2-1 平和研究奨励賞選考理由

(1)勅使川原香世子『地域医療アクセスとグローバリゼーション:フィリピンの農村地域を事例として』明石書店 2013年

 フィリピンの農村地域をフィールドとして、「もがきながら」行った現地調査の成果を映し出す斬新な研究書である。医療の近代化や医療アクセスの確保が必ずしも人々に裨益するものになっていない実情を徹底した調査によって明るみに出し、その構造を批判的に解明している点がとりわけ高く評価される。

 現地調査を通して提示される著者の見解は、自らが専門家として従事してきた看護学の知見にも支えられて、随所に、通説的理解を覆す切れ味を見せている。グローバル化の過程で推進される看護師の国際労働移動がフィリピンにおける看護師不足の原因になっていないとの指摘や、医療施設があっても潜在的利用者の医療負担能力がないので、病床不足と分析される地域においてさえ実際には病床占有率の平均値が50%に満たないことを明らかにした箇所などは、ことのほか印象的である。また、「腐敗システム」、「高額医療品・サプリメント販売システム」、「非公式高利貸しシステム」の実態を暴き、フィリピンの農民が医療市場でサービスを購入するようになりながら、高価であるために途中で治療を断念したり、借金を背負わされるといった事実を明らかにした功績も大きい。

 本書の有意な特徴はその研究手法にもあり、人類学的観察、文献資料、インタビューを駆使した徹底的な調査は特筆に値する。こうした手法を通じて構造的暴力のありかを丁寧に解き明かそうとする真摯な研究姿勢が、本書に格別の学術的価値を与えている。医療アクセスを推進する政策が、調査対象となった村落においてほとんど恩恵をもたらしていないという現実を踏まえて導かれた「医療アクセス推進から生存基盤確立へと医療政策を転換する必要がある」という著者の見解が、当該村落を越えて広く妥当するものなのかどうか、さらに、高価な近代医療が拡大していく真因はなにか、といった数々の論点について、本書はさらなる議論をよぶものでもあろう。

 明確な問題関心と意欲的な姿勢に支えられた本書は、新進の研究者による優れた平和研究の成果として平和研究奨励賞にふさわしいものと評価される。


(2)林公則『軍事環境問題の政治経済学』日本経済評論社 2011年9月

 軍事活動によって引き起こされる環境破壊を「軍事環境問題」という概念を駆使して本格的に分析した研究成果である。生の破壊をもたらす軍事活動の実情を精密かつ批判的に分析し、平和への構想を敢然と提示する。学術的作法を用いて「幸せのイメージ」を紡ぎ出そうする著者の意欲が全篇に映し出されている。

 軍事環境問題が顕現する場として、著者は、戦場以上に軍事基地の存在に着目する。戦闘行為が行われていない「平時」に、環境保全の観点から軍事活動を問い直す重要性に注意が喚起される。著者が焦点を当てるのは軍用機騒音問題と軍事基地汚染問題であり、具体的には横田基地と中国チチハル遺棄毒ガス事件が分析の俎上にのぼる。訴訟活動を丹念にたどることで、被害の実態が浮き彫りにされる。米国の情報自由法を用いて横田基地汚染の実態をあぶり出し、さらに、米国内基地の実態を分析することで日本への含意を探るなど、分析手法は堅実かつ動態的である。補論においては沖縄への視座も提示され、巨大基地建設による自然破壊などへの深刻な懸念が表明される。

 現状に対する批判的分析のうえに、本書は、環境再生としての軍事基地利用に考察を延伸する。政策研究・提言という形をとって表出する著者の構想は、基地問題に臨む平和運動に重要な理論的・実践的示唆を与えるものにもほかならない。その構想は、「公共性」が軍事から環境へと重点を移行しつつあることについての厚みある原理的考察によって支えられていることも特記される。軍事による国家安全保障政策は、「情報の秘匿性」により長く聖域に囲われてきたものの、基地被害が顕在化する今日の時代状況にあっては、環境を適切に考慮した公共政策として再定式化されなくてはならないことを著者は力強く説く。

 本書の後背を成しているのは、軍事環境問題の最前線にある人たちに触発された著者の情念であり、平和運動に対する共感の念にほかならない。安全保障の捉え方や近現代技術の発展の総体的評価などについてさらに議論を重ねるべきところもあるが、「軍事環境問題」という分野を独創的に切り開き、平和をたぐり寄せることに真摯に知力を傾注した本書は、新進の研究者による優れた平和研究の成果であり、平和研究奨励賞にふさわしいものと評価される。